40階段
- 40階段
-
- 住所 釜山広域市中区大庁路135番キル13
詳細な紹介
40階段は1950年6・25(朝鮮戦争)避難時代、交通・行政の中心地だった釜山中区に位置し、多くの避難民たちが、その周りに仮小屋を建て密集して暮らしていて、すぐ前の埠頭で入ってくる救護物資を売る市場として、そして避難中に別れた家族の再会場所として有名だった、避難生活の哀歓を象徴していたところであり、1951年にパク・ジェホンが歌った「慶尚道のお嬢さん(キョンサンド・アガシ)」という曲の素材として使用されるなど、当時、瀛州(ヨンジュ)洞の裏山、東光(ドングァン)洞、宝水(ボス)洞一帯に散らばって暮らした10万人を越える避難民たちにとっては一番身近な場所であった。